アイム・スタッフブログ(宮前区・高津区にあるアイム放課後等デイサービス)

川崎市宮前区にあるアインシュタイン放課後と高津区にあるエジソン放課後で働くスタッフによる、奮闘?記。

カテゴリ: 河野は語る!

いよいよ、医療の世界に復帰!

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偏差値の無駄遣いという指摘で我に返り、急いで医療業界に復帰。T社では新商品や事業開発を担当することになり、最初に取り組んだのは自律神経に関わるものでした。秘密保持の関係でサービスや商品詳細は語れませんが、自律神経って奥が深いのでプチ知識を書いておきます。

 メディアでもよく取り上げられる自律神経は「交感神経」と「副交換神経」に分かれていて、簡単にいうと緊張しているときは交感神経が働いていて、リラックスしているときは副交換神経が働いている状態を指します。車で言えばアクセルが交換、ブレーキが副交換ですね。
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 で、これがどっちかに偏りすぎると心身にダメなんですが、現代の生活はどうしても情報(刺激)が多いしFaceBookなどで誰かと繋がっているため、とてもストレスが大きく常に交感神経全開になりがちです。返信がこないだけでイラッとしたり「いいね」の数が気になったりとかですね。

 で、そのときに私たちの体で何が起きているかというと、筋肉が硬直して、心臓が一定のリズムで動き、血管はギュギュゥ〜っと硬くなり、まるで蝋人形か!ってくらいカチコチの状態になっているんです(イメージです)。それって体にいいわけないですよね。で、その状態が続くと精神疾患や肥満を誘発してメタボリック症候群につながったりして、いずれ糖尿病や高血圧症の原因となっていくのです。そこで、それを未然に防ぎたい!と考え、ストレスを測ったり緩和する商品・サービスを作ろうとしていたんです。

 

ただ、ストレスってそんなに簡単なものではなかった。。。

代理店時代の後半です。

少し間が空いてしまいました。共同経営者の河野です。
さて、代理店の話は早々に切り上げ医療機器T社時代の話をしようと思ったのですが、代理店時代のエピソードがまだあるので今回も継続します。

坊主頭が印象に残りエンタメ企業でのウケが特に良かったとお伝えしましたが、その経験で学んだのは「スパイスを効かせる」ことの重要性でした。それは見た目もそうだし提案する企画もそう。ただ代理店時代後半にはスパイスを効かせすぎたのか、行き過ぎて変態なアイデアばかりになっており、その頃に作った変態企画が「少年院でロックライブでした。

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もう10数年前になりますが、当時ワーナーミュージックでデビューしたてだったイナズマ戦隊の応援歌が、少年の更生を後押しするような内容だったので、更生といえば少年院以外ないだろうと企画し進めました。人生で直電営業は殆どしたことがないのですが、全国の少年院に北から電話しまくった末に九州のとある少年院が賛同してくれ実現できました(南から攻めておけば早かった)。

このライブには当時スタートしたばかりの報道ステーションチームが取材に入り、諸事情でライブ映像は放映できなかったのですが、少年の取材映像(モザイクのかけ方)が業界では大きな反響をよびました。(イナ戦無関係!苦笑)
https://youtu.be/E3emO7ysjro
 

ライブ後、施設の少年らから

「貴重な応援歌をありがとうございました。早く更生ししっかりとした大人になっていきます。本当にこの少年院にいて良かったです。」

とお礼をいただきましたが、最後の一文が笑えなくて困ります。
 

また、この企画で報道ステーション側を仕切っていた佐藤ディレクター(佐藤ノリさんとは別の方。後に人生の師匠となる)から、「河野は偏差値の無駄遣い」と言われたのがきっかけで、すっかり代理店マンとしてチャラくなりきってしまっていた自分に気づき、こりゃまずいと初心(医療とエンタメの融合)に返ることを決意し、急いで医療の世界に戻ることにしたのです。

次回は転職した医療機器T社の話です。

広告代理店勤務スタート

当時は超就職氷河期でしたがなんとか就職に成功し、晴れて代理店マンとして(広告って何なのかよくわかっていませんでしたが)エンターテインメントを学ぶべく社会人をスタートさせました。ただ入社前の僕はドレッド?爆発?頭だったので、急いで丸坊主にし真面目そうなメガネも新調しまして、一気にイメチェンを行いました。それが功を奏したのか、会社では「坊主といえば河野」というイメージが早々につきまして、インパクト重視の顧客を度々担当させていただくようになりました。
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まず最初に担当したエンタメ会社はソニーミュージックさんで、新人アーティストのメジャーデビュー初プロモーションビデオのお仕事でした。アーティストは、いまでも根強い人気のある“HOME MADE 家族”。まだデビュー間もなかったので、夏の湘南で海の家ライブを行ってもそんなに人が集まらないような頃でしたが。笑(左から2人目が私)
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音楽に携われたのは、とても収穫のある体験でした。音楽が持っている力って、軽く人の心を揺さぶるし、落ち着かせるし、この力って医療に必ず必要になるよなって、直感ですがすごく素直にそう思いました。それから随分経ってですが、音楽が持つ力で知り合った加藤みのるさんが、今アイムの顧問をしてくれています。 

 で、しばらく経つと音楽だけではなく映像にも深く携わるようになりまして、その頃には完全に坊主が定着していたので、その特徴を使ったお仕事に出演することも多くなっていきました。

代理店ではとにかく営業からマーケからクリエイティブまで幅広く経験させていただき、3年を終えた頃そろそろ医療に戻ることを決意し、その後、カテーテルなどの血管系で世界NO1シェアを誇るT社という会社に転職をすることになりました。医療のど真ん中はとても楽しく、いずれ起業を目指していたので、事業創りや商品企画を学べる毎日の仕事はとても楽しく充実していました。

次は、ど真面目な起業から、なぜノリさんと出会うことになったのかに繋がっていく医療機器T社時代の話を書いていきます。(ノリさんに出会う4年前) 
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!!頭にミステリーサークルがっ!映画の広告です。笑

私は某大学の医学部保健学科で放射線医学を学んでいました。当時はサラサラヘアのちょい江口洋介(あんちゃん)を意識したロングで調子こいていました。

なぜ医療業界に進学したかといいますと、高校2年の時に尊敬する祖父が膵臓癌で亡くなったことがきっかけなのですが、実は祖父の死よりも祖父が最期を暮らしている病院という空間の冷たさ・寂しさにショックを受け、これをどうにか変えたいという想いが大きくその道に進むことを決意しました。(だからアイムは心地いい空間にしたいのです!)
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その後、運良く希望の大学に進み病院実習を重ねていたわけですが、数年経っても相変わらず病院は冷たく、笑顔で歩いている患者さんなんて一人もいない状況で、ましてや放射線科にいたものですから、末期癌の患者さんが日々放射線治療に来られるわけで、それはそれは、日々“死”というものを目の当たりにして悩み増幅しまくりの学生生活を過ごしてきました。

そんな極限の現場経験のなかで、今思えば失礼かもしれないですが、「笑って死んでいける病院を作ってみよう」という人生の目標というかコンセプトが僕の中で定まっていったわけです。 
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でもでも、たかが地方大学の保健学科生。なにをすればそれを実現する力を着けられるのかなんて、今ならググってポンッでしょうが、全く情報源はなく「とりあえずエンターテインメントを学べばどうにかなるんじゃないの?」と、文系学部の友人に言われたことを鵜呑みにして、広告代理店というキーワードにぶつかり、最初は代理って言葉にダサさを感じつつも、唯一受けた代理店に受かったので就職し、私の「医療×エンタメ」を探す旅がスタートしたわけです。

それからアイム設立までの紆余曲折の15年。それをこのブログでちょいちょい挟みながらお伝えしていこうと思います。

*佐藤コメント:彼の紆余曲折のヘアスタイル歴史が始まります(笑)

メモ:河野さんシリーズをがっちゃんブログからスタッフブログに移動しまーす!

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今回は、シュガーノリから少し離れて、協同経営者の河野誠二がブログ書きます。笑 

神出鬼没でニュートン・アインシュタインに姿を現す私ですが、ちょうど1年前にノリさんと放課後デイサービス設立を決意し一緒に経営を行ってきました。この1年、本当に素敵な生徒さんと素敵なお父さんお母さん、そしてスタッフのみんなと応援してくれる仲間達に恵まれて、想像以上に教室を楽しく運営することができています。みなさん、ありがとうございます!

起業したてのころは、二人で渋谷の安い焼き鳥でつまみながら悩んだり、仲間との決別を早々に2度も経験したり、細かく見れば結構な荒波がバシャバシャ打ち付けて来ていたような気もしますが、それを軽く超越する楽しさで今まで進んでくることができました。あらためてありがとうございます。

少し自己紹介しますと、ホームページの役員紹介にも書いていますが、私はもともと医学部で保健学を学んできて、医療にエンターテインメント要素が必要だ!とよくある若者的妄想を抱いてしまい、それがそのまま尾を引いてしまったタイプの39歳です。ざっくりしすぎているので、ちょっと詳しく書きますね。  

つづく!
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