アイム・スタッフブログ(宮前区・高津区にあるアイム放課後等デイサービス)

川崎市宮前区にあるアインシュタイン放課後と高津区にあるエジソン放課後で働くスタッフによる、奮闘?記。

カテゴリ:成田 > 成田の発達障害の話

吹奏楽部にいる間も、友達が幼馴染のH一人しかいなかった私。
退部したら、必然的に活動が活発な吹奏楽部にいるHとは遊べなくなります。
私は「何もかも終わったなぁ…」と、ごく自然に考えていました。

そんな私に転機が訪れたのは中学2年生になった時でした。
同じクラスに私の波長とピッタリと合致する、とんでもない子がいたのです。
それがA子でした。
前にカラオケの記事で登場してます!(名前だけですが)
あまりにも波長が合うので、次第に彼女の友人とも付き合いが増えて、初めて友達がH以外に増えた訳です。

どのくらい波長が合うのかと言うと…?
①好きな音楽の系統(主にロック系が好きです)、
②体格は違えど、見た目(二人ともショートカットで似てる(笑))
③美術的な感性まで似てたのです!(退廃的なものや哀愁あるものが好きとか)
(誕生日はひと月弱離れてますが、互いの家まで徒歩3分です(笑))

あまりに似てるので、前世で双子だったんじゃないか…(@_@)?と、共通の友達にも言われました。

面識はなかったのですが、幼稚園まで同じでした。
小学校が違ったので、知り合うことはなかったのです。

ある日、サイゼリヤに行きました。
二人で話しながら、ドリンクを取りに行ったのですが(お互いに話しながら、目はドリンクにいっています)、席に戻ってお互いびっくり。リプトンを入れたのですが、量も同じ、氷がないのも同じ、ガムシロップとミルクの量まで一緒!
二人で爆笑してました(笑)
こんなとこまで同じなのか!と(笑)

そして不思議なのが、高校は別々で、進学先も私は大学、彼女は専門学校と別々だったのですが…。
なんと、二人とも福祉系を選択していました!
久しぶりに連絡を取ったら
私は色々あって大学を1年生の秋にやめましたが、彼女は専門学校を無事卒業しました。

双子疑惑が出たのはこの先です。
私はアインシュタインで、彼女は障害者の入居施設で働いています。
その障害者というのが…発達障害を抱えている児童!(一部には成人もいるようですが、彼女の担当は小学生から高校生までのようです)

打ち合わせもしてないのに、何故か似たような道を辿る私たち。
正に双子です(笑)

A子のお陰で私は、高校では自分に合った友達を見つけることが出来るようになりました。
大抵の子とはTwitterやLINEで連絡を取ることもしています。
でも、未だにしょっちゅう遊んだり、たまにライブに行ったりして、頻繁に会うのはA子だけです。
私にとってはA子は特別な存在、もしかしたら親や家族より大事な存在なのです。

次回は最後にまとめの記事をアップします。
今しばらくお待ちくださいませ…_(._.)_

成田の人間関係事情~その3~の続きです。

そんな吹奏楽部の短い活動の中で一番記憶に残っていること。
それはクラリネットの四重奏の大会です。
「行ける人は来いよ」と、先生は確かに言いました。
その日は確か土曜日で、行けないことはありませんでした。
しかし、「行ける人は来いよ」という言葉を、私は「行かなくてもいい」と捉えました。
行かなければならないときは、「行ける人は来いよ」なんて言い方はせず、先生は必ず、はっきりと「来なさい」「行きます」と伝えたからです。
当日、家に先生から電話がかかってきました。
「何で来なかったんだ」
行かなかったのはどうやら私だけのようでした。
その時先生に言われたのは「仲間を応援したいとは思わないのか」という言葉。

当時なんて答えたかは覚えてませんが、間違いなく、私は部活の先輩や同級生を「仲間」だとは思っていませんでした。
仲間と思っていないというより、「え、仲間なの?」という驚きの方が大きかったです。
「仲間って、何?」
そのことについて何日間か考え続けましたが、別に一緒に活動してるだけの人達を仲間だとは、どうも思えなかったです。

そりゃそうです、人に流されて入った部活でしたから(笑)

因みに、物事の飲み込みも遅いので、楽器も下手で楽譜を読むのも下手でした(笑)

どのくらい飲み込みが遅いのかというと…。
1歳から小学6年生までやっていた水泳では、平泳ぎ習得(完璧なフォームで泳ぎ、タイムを出す)に2年半かかり、更に!

私は数学やら算数やらがとことん苦手です。
以前書いたので、知っている方多いと思いますが(笑)
中学2年生の夏に習う連立方程式。
これに大苦戦しました。
みんなが何てことなしに解けるようになる冬休み頃にやっと解けるようになりました。
母に尻を叩かれるようにして、泣きながらやった(やらされた)なぁ…連立方程式……(涙)
高校受験には間に合いましたが(笑)

さて、次回ではそんな私に転機が訪れます。

成田の人間関係事情~その2~に引き続き、人間関係、コミュニケーションの話です。

中学校に上がっても、相変わらず私に変化はありませんでした。
普通に接するけど、深くは立ち入らない。
ドライな態度のままでした。
(ドライという自覚は全くありませんでしたが笑)

中学生になると、部活動なるものが始まります

吹奏楽部に入ったのですが、そこで再び人間関係でつまづきました。

幼馴染みのHが入るということと、母が昔トランペットをやっていて勧めてきたという理由で吹奏楽部に入りました。
しかし、私はそこまで吹奏楽部に魅力を感じていたわけではなく、ただ単に、知らない環境で一人になるのが不安だったのと、自分の希望を押し通すことが出来なかったのです。

そして、吹奏楽部は生半可な気持ちでやっていけるほど、甘い部活じゃありませんでした(笑)

部員と指揮者(顧問の先生)が一丸となって演奏するのが吹奏楽。
同級生には馴染めず、先輩ともコミュニケーションをうまくとれない。
幼馴染みのHは別の楽器で、一緒に練習するのは合奏のみ。
おまけに、生来の性質で朝に極端に弱く、朝練も遅刻したり、サボったりして(笑)、顧問の先生にも叱られました。
そんな状況で、ただでさえ行きづらい部活にもっと行きづらくなり、部活内でもどんどん浮いた存在になりました。
結局、1年経たずに退部しました。

長いので分割します(;・ω・)

さて、成田の人間関係事情で書いた出来事があったので、私は人付き合いに臆病になります。
昼休みも一人で絵を描いてみたり本を読んだり。

一緒に遊びたい気持ちはあっても、仲間に入れてもらえる自信もないし、そもそも「仲間に入れて」と言わなければならないのも嫌でした。
他の子は「仲間に入れて」と言わなくても誘ってもらえるのに、お情けで「仲間のフリ」なんてされたくなかったのです。

4年生の時、先生に「莉緒さんを誘ってあげて」と言われた同級生が誘ってくれたこともありましたが、私は「今、本読んでるから」と、見れば分かる理由を言って拒否。
本を読んでいても全部見えてるし、聞こえてる。
先生に言われたからという理由なら誘わないで。
そう言いたかったけど、そこまで言う勇気はありませんでした。

そんな私でしたが、授業であれば誰とでも普通に会話をしたし、クラスで浮くようなちょっと変わり者の子を見つけて仲良くしてました。
ただ、「クラスメイトは友達じゃない」という意識が強かったので、変わり者同士で「学校外」で遊んだりすることはありませんでした。

5年生の時、給食の時間にクラスメイトの男の子に「お前って、いつも一人ぼっちだよな」と言われたこともありました。
が、私は普通に「うん」と一言。
私があまりにも普通に答えたからか、彼は面食らった様子で、それ以降は会話はありませんでした。

そういえば、小学生の頃にはブルーハーツにどっぷりはまっていたのですが、「ロクデナシ」という曲の
『誰かのサイズに合わせて 自分を変えることはない
自分を殺すことはない ありのままでいいじゃないか』

という一節に感銘を受けたことも、「自分は自分、他人は他人」というドライな態度を貫いたことの一因かもしれません(笑)


続きます。

カラオケの記事で挙げたA子。
中学時代の同級生で、親友です。
もっと言うと、前世で双子という疑惑が浮上しております(笑)
A子とは、前世で双子だったんじゃないか!?と思うほど、思考やら好みやらが同じです。
それは今度話すとして。
私は中学2年生の時にA子と友達になるまで、学校外で遊ぶ友達は幼馴染みのHだけでした。


小学校に上がりたての頃…。

私「○○ちゃんと遊ぶ約束したー」
母「何時にどこで?」
私「…………?」

遊ぶ約束の仕方もよく分かっておらず、待ち合わせの概念もなかったと母が以前話してくれました。

約束の仕方を学んだ私は、頑張ってクラスの子と遊ぶ約束を取り付けるようになりますが…。
約束の仕方を覚えたのと同じ小学校1年生の時に、クラスメイトと友達を分けて考えることになる出来事が起きます。

一緒に遊んでいたはずの子たちから、公園に置き去りにされてしまったのです。

無論、当時は「置き去りにされた」とは思わず、「どこ行っちゃったのかな?トイレかな?」と考えていました。

小学校の学区内の公園でしたが、小学1年生の私の世界はあまりに狭く、どうやって友達を探せばいいのかも、今いる公園からどうやったら家に帰れるのかさえ分かりませんでした。

運が良かったのは、あまり仲良くはなかったけど、同じクラスの女の子が公園に来たこと。
一人になってしまった経緯を話すと、一緒に遊んでいた子たちを探してくれました。
コンビニや、誰かのお母さんに聞き回ったけれど、結局その子たちを見つけることは出来ませんでした。
仕方ないので、最初にいた公園に戻り一緒に探してくれた子に、家に帰りたいけど帰り道が分からないから学校まで一緒に行って欲しいとお願いして、家に帰りました。

未だに何で一人になってしまったのか、その時、どんな遊びをしていたのかは全く覚えていません。
ただ、気づいたら1人だったのです。

そんなことがあったもので、友達=クラスメイトではないことを知り、その後はクラスメイトの子とは進んで遊ばなくなります。

家に帰った私は、おいてけぼりにされてしまったことを誰にも話さなかった気がします。
適当に、もうみんな帰るって言うから帰って来たんだとか言って。

そのあと1人でずっと考えていたのは、置いていかれてしまった理由。
お姉さんっぽい自転車もないし、お小遣いも貰っていない。
あ、そっか、一緒じゃないから遊べないんだ。
当時は本気でそう思っていました。

多分それ以外にも要因はあったのでしょう。
小学校6年間を通して、しょっちゅうからかわれたり嫌な思いをさせられることはありました(笑)
きっと、相当浮いていたんだと思いますが、何でなのか自覚はありません(笑)
それも未だに(笑)

さて、例によって長いので、次に続きます(笑)

このページのトップヘ