アイム放課後のスタッフブログ!

川崎市に福祉施設を展開するアイムの公式スタッフブログ✍️ …毎日更新中…

昨日、義母からこんな写真がLINEで送られてきました。
(保育園に入れなかったので、仕事のときは義母に預けています)

スマホが主流の時代に生まれたのに

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ガラケーの使い方を知ってる(?)息子(笑)

すかしたような、何とも言えない表情で、

「なんだって?」

…でもそれじゃ、あんたの声、届かないね。(成田の心の声)
マイクから遠すぎて(笑)

前回記事、頑固~その2~の続きです。


テスト期間が近付くと、誰もが言われると思います。
「勉強しなさい!」と(笑)
私ももれなく言われました。

が、中学生の時は「何で勉強しなきゃいけないの」と思っていました(笑)
反抗期真っ盛りだったので、口に出して言って怒られました(笑)

高校生の時はもっとたちが悪くなります。

私の行っていた高校(私立)では、2年生の時に文理に分かれます。
そして、教科の選択によっては理系科目を消滅(笑)させることが出来たのです!

理系科目を消滅とか書いているので、察しがつくと思いますが、私はドのつく文系女です。

英語こそ苦手でしたが、毎日授業聞いてさえいれば、国語系、社会系の科目はちょこっとテスト1週間前くらいからちょこちょこ見直せば、自分の納得いく点がほとんどとれました。

反対に、理系科目は「消滅させる」とかかいてるぐらいに嫌いです(笑)
もう苦手を通り越しました(笑)

中学生までは塾と、根気強く(あまりの出来なさにイライラしただろうに)教えてくれた母に助けてもらいながらなんとかしていた数学は、高校生になった瞬間意味不明になりました。

おまけに、嫌いではなかった理科も、暗記だけではどうにかならなくなります。
こうして、理系科目に対する苦手意識が強くなりました。

そこで、中学生の時の「なんで勉強しなきゃいけないの」がパワーアップし、
得意な文系科目は「どうせそんな勉強しなくても出来るのに」
理系科目は「そんなに勉強しても出来ないし」
となりました(笑)
(口に出しては言わなかった…と思います!)

私は勉強が嫌いではありませんでした。
むしろ、知識を手に入れることには比較的貪欲な方だったと思います。
しかし、基本的に自分が設けた基準以上には頑張ろうとしませんでした。
(国語、社会系は80点以上、化学は諦めるけど生物は60点以上、のように、科目によって目標がありました)

今から思えば、両親はそんな私を頑張らせたかったんだと思います。
頑張れば頑張っただけ認めてもらえる高校生のうちに。
でも、私は「頑張ってもムダ」と思っていました。

その理由は、また後日。

絶対にブログに載せてね!
毎日見てるから!

と、言われたので、たまったラブラブ写真を載せていきますー。

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みーちゃんのいい笑顔(*´v`)



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しゅうちゃんは
「お家で(しゅんを)飼ってもいいか??」
というくらい気に入ってくれているらしく、
気づいたらチューしてました。
口の形がかわいいです。



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送迎途中、お友達を待っているときにライオン博士と愛を育んでいました。
ライオン博士の口の形もかわいい!



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あゆ君も抱っこがうまくなり、しゅんがうっとりしております。



そしていつもラブラブなのがこの2人。

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ケイの広い背中を見ると、こた君がよいしょっとよじ登ります。
何度も挑戦するうちに、こた君の登り方がうまくなりました。
最初はこうでした↓

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成長しましたね(*´ω`*)


前回の記事、頑固の続きです。


幼稚園の時にも、私特有の頑固さが出ていました。

これは、ずっとある記憶です。
園庭で、一人ふらふらと遊ぶ私。
今、大人だから分かります。
その時、園庭には他の子はおろか、先生すらいなかったこと。

これがどういうことだったのか、母に聞いたら答えが分かりました。
「自由な時間から、クラスでの活動に切り替えが出来なかった」のです。

ふらふら遊んでいただけでなく、先生に諭され、一応教室に戻っても、その時すべきことをなかなかすることが出来なかったそう。

最終的には、自分で納得して、みんなとは遅れて作業をしたそうですが…。


この頃から、自分で納得しないと、テコでも動かないという、たちの悪い(笑)性質が明らかになっていたんだなぁ、と思います。

実はこのたちの悪さも筋金入り。
なのですが、長いのでまた次に回します(笑)

広告代理店勤務スタート

当時は超就職氷河期でしたがなんとか就職に成功し、晴れて代理店マンとして(広告って何なのかよくわかっていませんでしたが)エンターテインメントを学ぶべく社会人をスタートさせました。ただ入社前の僕はドレッド?爆発?頭だったので、急いで丸坊主にし真面目そうなメガネも新調しまして、一気にイメチェンを行いました。それが功を奏したのか、会社では「坊主といえば河野」というイメージが早々につきまして、インパクト重視の顧客を度々担当させていただくようになりました。
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まず最初に担当したエンタメ会社はソニーミュージックさんで、新人アーティストのメジャーデビュー初プロモーションビデオのお仕事でした。アーティストは、いまでも根強い人気のある“HOME MADE 家族”。まだデビュー間もなかったので、夏の湘南で海の家ライブを行ってもそんなに人が集まらないような頃でしたが。笑(左から2人目が私)
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音楽に携われたのは、とても収穫のある体験でした。音楽が持っている力って、軽く人の心を揺さぶるし、落ち着かせるし、この力って医療に必ず必要になるよなって、直感ですがすごく素直にそう思いました。それから随分経ってですが、音楽が持つ力で知り合った加藤みのるさんが、今アイムの顧問をしてくれています。 

 で、しばらく経つと音楽だけではなく映像にも深く携わるようになりまして、その頃には完全に坊主が定着していたので、その特徴を使ったお仕事に出演することも多くなっていきました。

代理店ではとにかく営業からマーケからクリエイティブまで幅広く経験させていただき、3年を終えた頃そろそろ医療に戻ることを決意し、その後、カテーテルなどの血管系で世界NO1シェアを誇るT社という会社に転職をすることになりました。医療のど真ん中はとても楽しく、いずれ起業を目指していたので、事業創りや商品企画を学べる毎日の仕事はとても楽しく充実していました。

次は、ど真面目な起業から、なぜノリさんと出会うことになったのかに繋がっていく医療機器T社時代の話を書いていきます。(ノリさんに出会う4年前) 
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!!頭にミステリーサークルがっ!映画の広告です。笑

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